姑獲鳥の夏を読み始めた

アニメの放送に備え、「魍魎の匣」を図書館で借りておいたのだが、
よくよく見ると「百鬼夜行シリーズ」というシリーズ作品の2作目にあたるというではないか。
というわけで、先週に第1作目の「姑獲鳥の夏」と「魍魎の匣」をまとめて買ってきた。
だが、結局読み始めたのは今日の午後になってしまった。
僕が文庫を読むのは主にちょっとした空き時間なのだが、
この2冊はあまりの厚さに持ち歩くには難儀な代物であった。
ふと読みたいと思ったとしても、すぐに取り出すことができなかったのだ。
しかし今日は病院に行く予定があったので予め鞄に潜め、待合室で読むことができた。


いまだ100ページほど読み進めただけであり、
丁度1節目が終わったところなのだけれど、
京極堂の語ったことは完全に僕の好きな部類の話であった
(脳と心の差異。意識とは何か。
 現実と幻視は当人には判別できないものである。
 この世界が本当に存在しているのか、まやかしなのか、
 そのどちらも充分に可能性を持っている。等。)。
男が二人向き合ってただ会話をしている、それだけのシーンであるのに、
その内容は大変興味深く夢中で読み進めてしまった。
診察の順番が廻り呼び出されても、
なかなか気づかなかったほどだ(看護婦さんには申し訳ない)。
僕は京極堂という人物に強く惹かれてしまった。


そして今悩んでいるのは「魍魎の匣」のアニメ第2話を見るべきか否か、ということだ。
小説は、視覚のイメージの固まっていない状態で読んだほうが良いと思う。
一度映像を見てしまったら、最早そのイメージを取り去るのは難しい。
先週の段階では、名前も何も知らなかったからまだイメージは固定化されていない。
しかし、今週の2話まで見てしまったら、既に人物の名前を知ってしまった以上、
これ以降の読書に多大な影響を与えることが容易に想像できる。
読み終わるまで録り溜めておくという方法もある。
しかし、リアルタイムで見られるのならばそのときに見ておかなければ、
結局いつまでも見ないままに終わる可能性も高い。
(これは手段が悪いわけでなく僕の怠慢なのだが、
 これまでに何度もそういった経験をしてしまっているのだから仕方がない。)


とりあえず今日は録画をするつもりでいるが、
来週の放送までに「姑獲鳥の夏」は読み終えても、「魍魎の匣」まで読み終える自信は無い。
僕の読書スピードは大体1時間で100ページだ。
(これは早いのだろうか遅いのだろうか)
だから、合計1600ページにも渡るこの2冊を読み終えるためには、
16時間はゆうに超えることになる。
1日2時間読書の時間を作ったとしても1週間以上かかってしまうのだ。
これは厄介な問題である。
だからといって、眠気眼をこすりながら徹夜で読んだとすれば、
内容の理解が曖昧になってしまう。
実に厄介だ。
そもそも毎日2時間も時間をとれるかどうかもわからないのであるが。
一つ確実なのは、
こんなことで悩むのならばこの文章も書かずに今すぐ読み進めたほうが良い、
ということである。


全くもって真剣でない悩みを持っているというのは、
膨大な時間の無駄なのか、余裕がある故に幸せなことなのか。
きっと前者だろう。


……長い文章を読んだ後には妙に張り切って小難しく書こうとしてしまう。
後で読み返したらきっと気恥ずかしくなるだろうな。