「姑獲鳥の夏」(著:京極夏彦) 読了

あの厚さを見たときにはどうしようかと思ったけれど、ようやく読み終わることが出来た。
今は魍魎の匣を読み始めている。


不思議な物語だった。
最終的には「関口巽だからこそ助けることができたんだ。」
というように締めくくられてはいるものの、
実際には他の外部の人間や警察が踏み込んでいたらあの事件は終わっていたわけで。
それは「解決」とはいえない形であったろうけども。
もしくは、榎木津がもし自分で通報していたらそこで終わってもいたのだ。
それか、もしも京極堂が最初から興味を持って出張っていたらそれで解決していた。


しかし、関口がどんどん遠回りをしながら自分のトラウマと向き合っていく展開。
あれが無ければミステリー性は薄れていたし、
事件の本当の姿は見えなかったわけだし、
これほど面白い話にもなっていなかっただろう。


キャラクター全員がちゃんと役割をこなしていて、
でもそれでいて自然さや「らしさ」を持っているのが素晴らしいと思った。
京極堂が最初から出張っていれば、榎木津が通報していれば、と言ったが、
「あの状況で彼らはそんなことはしないだろう。」
と感じられるような説得力があった。
登場してわずか数十ページではあったが、関口による過去のエピソードなどを交えた解説、
また本人の独特すぎる発言などから彼らの美学のようなものを感じられたのだ。


関口巽も僕にとっては斬新なキャラクターだった。
本来、読者視点となるキャラクターは、神の視点に立つ事が出来ない分、
「彼の目に見える限られた世界」を忠実に語り、小説の中の世界を読者に教えてくれるわけだが、
この「彼の目に見える限られた世界」というのが曲者だった。
本来ならば、彼の見ていないところで犯人が暗躍していただとか、裏切りがあっただとか、
そういった描写によりその「限られた世界」を読者は見るのだが、
「見えるはずなのに、見えていたはずなのに、彼には見えなかった。」
という新たな要素を登場させたのだ。
また、こういうキャラクターは中立的な立場にいることも多いのだが、
彼は偏見は多いわ一方に肩入れするわ、精神病により錯乱するわ、
およそ読者の視点となるには相応しくないのでは、と思われるようなキャラクターであった。


京極堂の薀蓄がとても興味深く、楽しんで読むことが出来た。
また、それを読んでいることで以降の話を理解しやすくなったり、
読んでいなければおよそ理解できないような概念が登場したりするのが嬉しい。
その京極堂の話以外にも、何気ないような情報が、
後々伏線として現れるのがパズルのピースが嵌っていくようでとても爽快だった。


そういえばこの「姑獲鳥の夏」は、一応探偵もののような体裁をとっている。
探偵が居て、情報を持ってくる記者が居て、知り合いの刑事がいたりする。
しかしそれでいて捜査を行う探偵は関口であり、推理を行い真相を暴く探偵は京極堂であり、
実際に「探偵」なのは榎木津だったりする。しかも証拠集めや聞き込みは主に木場修の仕事だ。
こういう特殊で可笑しな関係の仕方も面白かった。


関口が斬新だと言ったが、京極堂というキャラクターが最も衝撃的だった。
まず彼の性格や思想にも驚いたが、僕が気になったのは、
彼は憑き物落としの陰陽師というが、別に陰陽術を使っているわけではないということである。
最後のほうで呪文のようなものを唱えてはいたが、
あれは事務長の流派を知るためだった、と言っているし、
涼子のトランス状態を抑えたのも、単なる催眠暗示のような台詞を言っただけである。
また、あのトランス状態も霊的なものではなく薬品によるもので、
人格転換も心を守るために生まれただけのものであると言っている。
陰陽師のようなものだと周囲には思われていて、
実際に清明の星模様を着けたりもしているのだが、
全く妖しい術の類などは使っていない。
このことについては物語が始まってすぐ、
関口との会話中の憑き物落としについて説明している時に既に言っているのだが、
神社で過ごす、特殊な服を着る、呪文を唱えだす、死体が出現するなどと、
完全に「霊的、妖術的な要素がついに現れた!」と思わせておいて、
その実全く彼の方針は変わっていない。この世には不思議なことなど何も無い。
彼は理論と心理誘導のみによって、憑き物を落としたのだ。
真相究明の場面で、
語っている内容は心や人格、脳の話であったり、地域の伝承や伝説の話であったが、
それがきちんと事件に繋がった背景や動機の解説となっているというのには感動した。


事件と関係があるのか?と思われるような部分が本質に繋がっている。
長すぎるほどの薀蓄にちゃんと意味があり、無駄になっていない。
さっきから何度も同じようなことを言っているが、そこが特にとても面白いと思った。